2004年3月15日号

Last updated on March 10, 2004

特報

 日本テレビの番組「笑ってコラえて!」で元タイトーの西角友宏氏が取り上げられた。

 AOUエキスポでセガ社「ザ・クイズショー」などのTVゲームが披露された。

海外

 米国ウォルトディズニー社のアイズナー会長は、CEOにとどまるが、会長を辞任した。

 ブラジルのビンゴホールが営業禁止の危機に瀕している。

国内

 セガ社会長にサミーの里見治社長が就任した。  

 ナムコは大阪・梅田に「浪花餃子スタジアム」を含む「ナムコシティ」をオープンした。



2004年3月15日号のニュースダイジェスト

上の写真は「浪花餃子スタジアム」の内覧会で、テープカットをする(左から)南平の栗本信治店長、宇都宮餃子会の伊藤信夫会長、ナムコの中村雅哉会長、OSの渡辺伍郎社長、華興の渡辺玄晃店長。下は実際の店のようす。


10年前の主なニュース


 技術評論社の電子出版物に対して、東京地裁はナムコの著作権を侵害しているとの判決を出した。米国AAMAは香港で初のAAEを開催することを決めた。タイトーの大植正道専務が退任した。SNKの開発ビルが完成した。金子製作所は中外貿易と提携した。ジャレコは家庭用のアクアリウムビジネスに参入した。(1994年3月15日号)。

20年前の主なニュース


 警察庁はゲーム場を規制対象とすることを含む風営法改正のため、関係省庁と協議を始めた。福井県は賭博性の強い遊技機を設けるゲーム場規制を目的に青少年条例改正案をまとめた。タイトーの中西昭雄常務が社長に就任した。第3回NAOショーが開催された。米国で初のASIが開催された。ナムコがファミコン用ゲームソフトを供給することになった。シグマが創業20周年記念パーティーを開催した。(1984年3月15日号)。

Copyright ©Amusement Press Inc. 2004     ゲームマシン、アミューズメントプレス、アミューズメント通信は登録商標です。無断で本紙記事を転載したり、その他アミューズメント通信社の知的所有権を侵害することは違法です。


【ニユースダイジェスト】

 1.米国ウォルトディズニー社の年次株主総会が3月3日にフィラデルフィアで開催され、マイケル・アイズナー会長兼CEOに対する不信任投票が注目されていたが、不信任への投票は43%で信任されたものの、予想されていた30%を大きく上回ったことから、取締役会では批判をかわすため会長職とCEO職の分離を決めた。このためアイズナー氏はCEOにとどまるが会長を辞任し、後任の会長には元上院議員で同社取締役のジョージ・ミッチェル氏が就任した、と発表した。約2千人の株主が集まった総会ではアイズナー氏が業績の拡大を強調したが、創業者の甥で03年11月に副会長を辞めたロイ・ディズニー氏らが、アイズナー氏追放を呼びかけた。ロイ・ディズニー氏らは会長職とCEOの分離では収まらず、今年中にアイズナー氏がCEOを退任するよう求めている。同社に対してはケーブルテレビのコムキャット社が2月11日に買収を提案、ディズニー社は16日にそれを拒否している。

 2.日本テレビ系列のバラエティ番組「笑ってコラえて!」で3月3日、「スペースインベーダー」などを開発した元タイトー開発部門の西角友宏氏(現在はドリームス社長)に焦点を合わせた約30分間のコーナー「天才ゲーム職人、幻の名作がスタジオに」が放送された。放送は午後7時から約1時間半の同番組の結びの約30分間で、西角氏がタイトーに入社して、エレメカ式ガンゲーム機「スカイファイター」以来ゲーム機開発に携わり、さらに電子技術を習得して初期のTVゲーム機の開発を担当し、「スピードレース」、「ウェスタンガン」、「スペースインベーダー」など歴史的なTVゲームを開発することになった経緯をたどるものとなった。番組では特に、地方で現存していた「スカイファイター」を西角氏が訪れて修理し、それをスタジオに持ち込んで実際にプレイできるようにするなど、現在のゲーム機との違いを際立たせ、独創的な開発の意義を強調することになった。

 3.AOUエキスポ04では、セガ社がクイズ番組参加型の「ザ・クイズショー」、ナムコがアイドルを育てる「アイドルマスター」、コナミがプロレスの「バトルクライマックス」をそれぞれネットワーク方式で披露し、注目された。伝統的な基板タイプのTVゲームでは、サクセス開発のパズルゲーム「ズー」と韓国イオリス開発の格闘ゲーム「カオスブレイカー」をタイトーが出品、またマイルドストーンのシューティングゲーム「カオスフィールド」とシステムビット開発の大富豪ゲーム「大大革命」をエイブルが出品したのにとどまった。サミーのアトミスウェーブ向けでは、プライベートショーと同じ「ザ・ランブルフィッシュ」などが紹介された。完成品タイプではナムコ「湾岸ミッドナイト・マキシーブースト」と、タイトー「ゾイド・インフィニティ」が関心を集めた。セガ社は「バーチャファイター4・ファイナルチューンド」などを映像だけではあるが紹介している。

 4.セガ社は2月17日の臨時株主総会でサミーの里見治社長と鈴木義治常務がセガ社取締役に選任され、取締役会で里見氏が代表権を持つ会長に就任した、と発表した。佐藤秀樹会長は副会長となった。昨年12月にCSKが所有してきたセガ社の株式(発行済み株数の22.4%)をサミーが取得し、筆頭株主になったのに伴うもので、CSKからの取締役2名は前日に退任した。CSKとセガ社との資本関係はなくなっているが、事業関係は継続している。里見氏は週のうち半分はセガ社に常駐することになった、と語っており、サミーの「アトミスウェーブ」用ゲームソフトの拡充に重点を置きつつ、セガ社会長として業務全体についてもできる限り大胆に改善を進めて行くとの考えを示している。

 5.ナムコは2月20日、大阪・梅田のOSビルの1−3階に「ナムコシティ」(約2800u)を開業した。1−2階はゲーム場の「ナムコランド」、3階はフードテーマパーク「浪花餃子スタジアム」で、それぞれ12億円、4億円を投資しており、初年度それぞれ300万人、150万人の入場と、20億円、10億円の売り上げを見込んでいる。ナムコランドの1階はクレーンゲーム、2階はメダルゲームを中心とするもので、周辺のゲーム上との調和を目指すものとなっている。「浪花餃子スタジアム」は昭和20年代後半の大阪をテーマとした町並みの中で、餃子職人の技を楽しむというもので、餃子専門店9店とおにぎり専門の1店で構成されている。「浪花餃子スタジアム」オープン前の内覧会で、ナムコの中村雅哉会長は同社の企業理念を説明し、「ゲーム大手ではなく、エンタテインメント大手として」展開していることを強調した。同社が展開しているフードテーマパークとしては9ヶ所目で、続いて2月27日には青森県五所川原市で10ヵ所目の「津軽ラーメン街道」がオープンしている。

 6.アルゼは東京国税局の追徴課税を受けたとする記事で名誉を傷つけられたとして、東京新聞などを発行する中日新聞社を相手取って約1億1千万円の損害賠償などを求める訴訟を起こしていたが、東京地裁は2月8日、アルゼの訴えを全面的に退ける判決を言い渡した。判決では、記事は国税局が更正処分(追徴課税)をした事実を示すもので、真実であり、その後更正処分が取り消されたとしても、それによって記事が不法行為になるわけではない、としている。アルゼが問題としたのは、「40億円所得隠し/パチスロ最大手アルゼ」の見出しで、アルゼが東京国税局に約40億円の所得隠しを指摘され、重加算税を含め約17億円を追徴課税された、と報道した00年12月28日付の記事。その後アルゼは国税局を相手取って訴訟を起こし、裁判所では一、二審ともに処分は違法だったとの判決が出て、処分は取り消されている。

 7.群馬県高崎市の遊園地「カッパピア」は03年11月末に閉園していたが、経営していた高崎フェアリーランド(高崎市、朝倉昭社長)が2月9日、前橋地裁高崎支部に自己破産を申請し、19日に破産宣告を受けた。負債は約10億1300万円。同社は61年7月に設立された、同年開園の「カッパピア」の経営会社で、66年にジェットコースター、69年に流れるプール、80年に宙返りコースター、83年に冬季スケート場をそれぞれ追加し、県内最大の遊園地になって、85年3月期には売上高が8億6300万円もあった。しかしその後は競争激化もあり入園者が減少し、03年3月期には2億2100万円まで減少して4000万円の赤字となった。閉園後は高崎市に買い取りを要請するなどしていたが、すべて実らず、自己破産に至ったもの。

 8.ブラジルで犯罪の温床とされているビンゴゲーム場というのは、ビンゴ装置と多数のスロットマシンを備えたカジノホールのようなものらしいが、全国で約千百ヵ所あって、年間2億5千万レアルもの税金を納めているので、無視できるものではないとされている。しかしながら、ギャンブルを原因とする犯罪が多発するなど問題がありすぎることから、02年12月に営業許可が無効となったが、予審判決により仮営業許可が出て営業が続けられてきた。しかし労働党政権に及ぶ癒着構造まで明らかとなったため、大統領による暫定措置令が発令されて、今年2月下旬から全面的に営業禁止となった。およそアミューズメントゲームと異なるカジノホールの話なので、分かりにくいが、行き過ぎたギャンブル熱を冷ますとともに、それに伴う数多くの犯罪を一掃するということらしい。


 ◎ 業界紙「ゲームマシン」は1974年以来、TVゲーム機を含む業務用アミューズメントマシン、遊園施設などに関する業界ニュースを、月2回のペースで伝えてきましたが、印刷媒体は2002年6月一杯で休刊しました。